午前四時十一分、最後の朝
九月三十日、勤務の最終日。午前四時十一分ごろ、いつものようにスマホで目が覚めた。実際には、一時間以上前から目は覚めている。だからスマホは、起こしてくれる道具というより、遅刻を知らせるための道具のようなものだ。
部屋を掃除して身なりを整え、四時四十五分ごろに家を出た。会社の事務所には、五時五分ごろに着いた。前日の売上金が入ったパックを持ち出し、自家用車に積んで駐車場に向かう。駐車場でトラックを停めてあった位置から出し、その場で自家用車の荷物をトラックに移した。それから、トラックのいた場所に自家用車を停めて、倉庫へ向かった。
倉庫に着いたのは、五時十八分ごろである。ふだんは、積み込み場所が一か所は空いている。ところが今日は、全部ふさがっていた。私が車を近づけると、そのうちの一台が出てきた。同僚の運転手の車だった。どうやら、私が来るのを待っていたらしい。
空いた場所に車をつけて、後ろの扉を開けていると、その運転手がお別れの挨拶に来た。「最後だね、元気で頑張りましょう」。短い言葉だったが、ありがたかった。
それから倉庫に入ると、今日は、ハンバーガー店の分がないので、荷物は少なめだった。いつも同じ時間帯に積み込みをしている中年の男性が、何かもぞもぞとしていた。もしかすると、私が挨拶するのを待っていたのかもしれない。だが、あえて挨拶はせずに通り過ぎた。気にしているわけではない。あえて挨拶するほどの関係でもないと感じていたからだ。
五時三十八分ごろ、倉庫を出発した。途中、飛ばしたところがあったので、目的地近くのコンビニには、思ったより早く着いた。トイレを済ませ、アーモンドミルクと、昼用の羊羹を二個買った。
納品先を回った後、給油をして、七時十三分ごろ、大手のスーパーに着いた。早い時間なので、裏の駐車場には車が数台しか見当たらなかった。だいたい決まった場所に車を停めてアイドリングしながら、コンビニで買った飲み物を飲み、最近ハマっている黒糖飴を舐めながら携帯電話をいじったりしてしばらく待機した。
朝ごはんを食べない事にしているので、アーモンドミルクと黒糖飴のスタイルが習慣化している。これも私なりに編み出した健康法だ。
携帯電話については、走行中はほとんどKindle本の聞き流しをしている。アンリミテッドと言う読み放題の契約をしているから、次から次へと興味のあるものを選んで飽きる事がない。ラジオを聴くのは昼のニュースぐらいでほとんど稀だ。だからこんな時間が空いているときは、新たなKindle本を探したり、時にはブログのネタをGoogleドキュメントに書いたりしている。Googleドキュメントは音声入力もできるので便利だ。
八時過ぎに荷降ろしの駐車場へ移り、入店受付で、社名・氏名・入店時刻を記入し、車に戻り前日の売上金をネットスーパーに届けた。それから二軒の納品を終えた。
九時十分ごろ、ネットスーパーの荷物が仕上がった。車まで運んで積み込んだ。午前の積み込みを、九時二十分ごろ終えた。間もなく出発すると、向こうからパートのSさんが歩いてきた。それとなく挨拶をして、すれ違った。パートのOさんとは時折遭遇するが、Sさんと車で遭遇するのは初めてだった。
午後二時、最後の積み込み
午後の積み込みを終えたのは、二時ごろだった。その日、最後の積み込みである。荷物を運ぶ際見える店内の様子や、行き交う店舗の方々の姿を見るのも今までと違い感慨深いものがあった。
ネットスーパーのマネージャーが、荷物運びを手伝ってくれた。積み終えたところで、私は切り出した。
「今日で、仕事をやめることになります」
マネージャーは、それほど驚いた様子を見せなかった。誰かから、薄々聞いていたのかもしれない。
百メートル先で、電話が鳴る
パートさんたちは、ネットスーパーの部屋で仕事をしている。顔を出して挨拶をするタイミングが見つからなかった。
そこで、マネージャーに頼んだ。「このことは、パートさんにもお伝えください」と。
そのまま、トラックを出した。
駐車場を出て、百メートルほど走ったときだった。携帯電話が鳴った。怪訝に思いながら出ると、相手はマネージャーだった。
「戻ってこられませんか」という。
あとで知った、パートさんの言葉
あとで聞いた話である。
マネージャーが部屋に戻って私の言葉を伝えると、パートさんたちは言ったそうだ。「どうして引き止めてくれなかったの」と。
それで、あわてて電話をかけてきたのだ。
私は、このまま行ってしまうわけにはいかないと思い、「戻ります」と答えて、引き返した。
店の前で、待つ
店の前に戻り、トラックを降りて待った。

そのうち、よく同じ時間帯に出くわす顔見知りの若い運転手が、こちらに向かって手を振ってきた。元は姉妹店にいた、K君である。私も手を振り返した。K君がこちらにやって来て、マネージャーを交えて三人で話をした。
しかし、パートさんたちは、なかなか来ない。
「時間がかかりますね」とマネージャーに尋ねると、返ってきたのは「何か、買い物をしているようです」という答えだった。
横一列の人たちと、お菓子の袋
やがて、パートさんたちが見えた。
横一列に並んでいた。その中から、パートのOさんが数歩、こちらへ進み出た。手に、お菓子の入った手提げ袋を提げている。
それを差し出されて、私は「とんでもない。こちらがしなければならないことなのに」と、聞き取れないようなか細い声で言った。
そうして辞退しようとした。しかし、その場の雰囲気を思うと、断るほうが失礼だと感じた。素直に受け取った。
その後何か言おうとした。だが、胸がいっぱいになって、言葉が出てこなかった。パートさんたちが何か声をかけてくれたが、私は「涙が出てしまうので」というようなことを言って、会釈をするのが精一杯だった。そのまま、トラックに乗り込んだ。
モニターの中の六人
運転席の上のバックモニターに、六人が映っていた。

横一列に並んだパートさんたち。その横に、マネージャー。そしてK君。合わせて六人が、そろって見送ってくれていた。
パートさんたちは、どこか神妙な面持ちだった。ふだんは冗談を言い合う人たちが、黙ってこちらを見ている。その静けさが、胸に迫った。
マネージャーは、少しにやけているように見えた。照れ隠しだろうと思う。この人が真顔で見送ったら、こちらも持たなかったかもしれない。
K君の顔は、正直に言うと気づく余裕がなかった。
ハザードランプを点けて出発する
何も反応しないまま出発するのは、いたたまれなかった。
そこで、ハザードランプを点滅させながら出発した。手を振るかわりの、精一杯の挨拶だった。
駐車場を出て約五メートルで左折する。左折すると、モニターの中の六人の姿は見えなくなった。
敷地を抜けながら、視界がにじむ
その後は、感無量の気持ちのまま、淡々と大手のスーパーの敷地内を通り抜けた。
こんなにまでして送り出してくれるとは、考えてもいなかった。呼び戻され、待たされ、お菓子まで用意してくれていた。前を向いて運転しているが、視界がにじんで見えた。
姉妹店のあいさつ
それから高速道路のSAで少し休んで、最後の荷降ろしをするために、大手のスーパーの姉妹店に向かった。
荷降ろしのあと、受け入れ担当の若い女性ドライバーに、辞めることを話して挨拶した。まだ二十代だと思うが、いろいろな仕事を経験してきたようで、その苦労がよい面に出ている。いつも気持ちのよい対応をしてくれる人だった。
彼女は、一緒に働く先輩の男性ドライバーにも挨拶するようにと言った。私が挨拶すると、同僚から聞いていたとのことで、すんなり受け入れてくれた。
そのあと、彼女は小声で言った。「会社から、戻ってきてほしいと連絡があるかもしれませんよ」
その夜、さぶれっとを開ける
家に帰ってから、いただいた和風さぶれっとを開けた。

地元で評判のお菓子屋さんの、詰め合わせである。ひとくち食べる。やさしい甘さだった。食べながら、一人ひとりの顔を思い浮かべた。神妙な顔、にやけた顔、そして見えなかった顔。
今はもう辞めているが、あのバックモニターに映った姿は、これからも私の目から消えることはないだろう。

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