74歳の運転席から見る「お金より物の確保」の時代:当たり前が崩れる現場のリアル

※この記事は、退職前、現役のドライバーだったころに書いたものである。

2026年6月。いよいよ本格的な梅雨入りとなり、道端に咲く紫陽花が、冷たい雨に打たれて一層深く瑞々しい色を放つ季節となった。雨粒を激しく弾く保冷車のフロントガラス越しに、福島のしっとりとした灰色の空と木々の緑を眺めながら、現在74歳の私は今日も静かにハンドルを握っている。

運送会社で冷凍食品やネットスーパーの荷物を積み込み、物流の最前線を走り続ける私にとって、最近しきりに耳にする「大きな経済の転換点」という言葉は、決してテレビの中の遠い出来事や、学者たちの机上の空論などではない。それは、「お金(利益・コスト削減)が最優先だった時代から、物(資源・供給能力)の確保が最優先される時代へ」という、世界規模の劇的なパラダイムシフトなのだ。

日々の配送業務を通じて、私の肌が、そしてハンドルを握るこの両手が感じ取っている「現場の悲鳴」。この現実と、世界規模の経済変革を重ね合わせたとき、これからの時代を私たちがどう生き抜くべきかという道標が見えてくる。70代半ばの現役ドライバーとしての視点から、読者の皆様と共感し合える未来へのヒントを、少し長くなるが綴ってみたい。

崩れていく従来の世界経済(左)と、物資の確保を最優先にした新しい経済(右)を対比した絵。
※イメージ画像です。

崩壊する「安さ第一」の世界と、現場を襲う「静かな嵐」

これまでの数十年、世界は「金」中心の経済で回っていた。世界中のどこからでも、一番安い労働力と低いコストで物を仕入れる。それが絶対の正義だった。しかし現在、地政学的リスクや未知のパンデミックを経て、「物そのものが手元に届かない」という恐ろしいリスクが顕在化している。

私のいる物流現場でも、まさに「人手不足」という名の「静かな嵐」が容赦なく吹き荒れている。私の日常は、まだ街が深い眠りについている朝5時ごろ、配送会社の冷蔵倉庫の中の小さな冷凍庫などから荷物を積み込み、一般道路へと走り出すことから始まる。

私が担当しているのは、朝の配送でファストフード店や地域のスーパーなどへの納品。その後、地方都市にある大手スーパーの大型店舗から中核都市の小型店舗へと、1日に2回(午前と午後)商品を配送するネットスーパー(大手スーパーに属する)の業務だ。かつて、こうした荷造り現場には活気があふれ、何人もの「パートさん」たちが賑やかに手を動かしていた。しかし今は、彼女たちの仲間が次々と姿を消し、作業現場には閑散とした雰囲気が目立つようになった。

現在、このネットスーパーの生命線を維持しているのは、管理事務所で奔走する「マネージャー」と呼ばれる男性が1名と、売り場の業務と兼務しながら交代で勤務している、残ったパートさんたちだ。ギリギリの人数による「気合と根性の奮戦」で、なんとか稼働インフラを繋ぎ止めているのが実情なのである。

この状況は、現代の経済における「供給不足」という致命的な弱点と深くリンクしている。「物が届いて当たり前」というかつての甘い前提が崩れつつある今、過度な効率化や目先の利益追求よりも、まずは「何としてでも現場を存続させ、物の供給を絶対に止めないこと」こそが、社会全体の最優先課題となっているのだ。

時間の壁の前で、命を削る朝

経済のニュースでは、パナマ運河の渇水やホルムズ海峡での紛争など、世界の物流の要衝(チョークポイント)での停滞が、途方もないコストと時間の負担を生んでいると指摘されている。しかし、これは決して海を隔てた遠い国の話ではない。日本の道路を走り、皆様の生活圏内で仕事をしている私にとっても、痛いほど実感できる「無縁ではない現実」なのだ。

私たちの現場にも、超えなければならない厳しい「時間の壁(チョークポイント)」が存在する。ネットスーパーの配送業務では、順調にいけばスタッフがパソコンにデータを入力しながら専用の通い箱へ商品を収納し、午前9時少し過ぎには箱詰めが完了する。しかし、時間ギリギリの駆け込み注文や、品物の出来上がりの遅れなどによって、この繊細なスケジュールは容易に崩れ去る。

もし、積み込みが遅れて大型店を出発するのが「午前9時50分」を過ぎてしまうと、ドライバーは絶望的な焦燥感に襲われる。なぜなら、午前の部の配送先である「物流センター」には、絶対に「午前11時まで」に届けなければならないという厳格なルールがあり、これを過ぎると物流センターとの連携が遅れ、厳しい苦情へと直結してしまうからだ。

この遅配の危機を回避するためにはどうするか。私たちは、小型店舗へ向かう高速道路で、法定速度の範囲内でできるだけ急がざるを得なくなる。雨の日のスリップや、不測の事故のリスクが高まる恐怖と背中合わせの中、ハンドルを握りしめて高速道路を急ぐその時間は、まさにドライバーの精神と肉体に多大な負荷をかける「命を削る時間」に他ならない。

倉庫で荷物を運ぶ年配のドライバーと電話中のマネージャー(左)、雨の中で運転席のハンドルを握る年配のドライバー(右)。
※イメージ画像です。実際の人物とは異なります。

2035年に向けてAIや自動運転が本当に肩代わりすべきなのは、単なるA地点からB地点への移動という「ルーティン」ではなく、こうした「人間が日々の責任感ゆえに命がけで削っている負担」そのものであるべきだと、私は強く願っている。

荷台の食品が、食卓から消える日

さらに、「お金より物の確保」というテーマは、私たちの食卓の危機に直結している。ニュースで語られる「中東へのアルミ依存」や「食料安全保障」といった難しい言葉は、まさに私のトラックの荷台に積まれている商品そのものの運命を握っているのだ。

私が運送会社を通じて日々運んでいる荷物の半分ほどは、大手食品会社の下請けとしての冷凍食品だ。朝のルートでは、一般道路を使ってハンバーガー店や、同じ町内の中堅食品スーパーに納品する。その後、隣接する村へと向かい、大手スーパーのテナントとして入っているファストフード店へも納品を行う。また、祭りなどで見かける焼き物の出店のような店舗にも納品している。これもテナントで入っている店だ。

これらはすべて、皆様の日常や週末の憩いの場や家庭の食卓にささやかな幸せをもたらす、欠かせないものばかりだろう。しかし、肥料の原料であるナフサを海外に依存し、それが巡り巡って畜産の飼料不足や肉の価格高騰に跳ね返るという脆い構造があると言われている。そうした中では、私たちが当たり前に運んでいる「チキン」や「ハンバーガー」その他の食品や関連包材が、明日にはトラックの荷台から完全に消えてしまう可能性を秘めているのだ。

冷凍食品やハンバーガー、チキンなどの荷物を積み、雨上がりの道を走る保冷トラックと年配のドライバー。
※イメージ画像です。実際の人物とは異なります。

「お金があっても物が買えない」「物を持っている者が圧倒的に強い」という時代において、物流を止めることは、そのまま地域社会の死、ひいては国力の衰退を意味する。だからこそ、私は74歳の老体に鞭を打ち、消費者へ届く「最後の1マイル」を絶対に死守するという静かなプライドを胸に、今日もハンドルを握り続けているのだ。

身体が覚えたコツと、一言の挨拶が現場を救う

供給が足りず、物が思うように動かない不確実な時代。皮肉なことだが、デジタル化が極限まで進むこれからの世界でこそ、「アナログな人間の力」が最大の安全保障インフラとなる。

たとえば、品物をトラックに積み込む際、私はただ漫然と荷物を移すことはしない。仕上がった箱の数を一つひとつ正確にカウントし、配送用連絡ノートに記されている数字と完全に合致しているかを自分の目で入念に確認し、納得してから初めてサインをする。さらに、商品の配送先となるお客様の氏名や住所が記された一覧表を、自身のスマートフォンでしっかりと撮影し、情報として相手先に送信し、確実に手元に残すというアナログとデジタルを融合させた工夫をしている。

身体に刻まれた暗黙知: 若いドライバーが力任せに重い荷物を運んで腰を痛めて辞めていく中、私は経験で培った「重心の捉え方」と「てこの原理」を駆使して、身体に負担をかけずに軽々と荷物を捌く。この泥臭い身体的なコツは、どれほど優秀なAIにも一朝一夕には真似できない。

現場の潤滑油となる共感力: 人手不足で殺気立ちやすい繁忙期の荷造り現場や納品先。私は納品先の受付で、相手がどれほど忙しそうにしていても、あえて穏やかな笑顔で「おはようございます、いつもありがとうございます」という挨拶を欠かさない。この「人間同士の温かい繋がり」こそが、イレギュラーなトラブルが発生した際に互いに融通を利かせ合い、滞りがちな物流を円滑に回すための最強のインフラなのだ。

未来へのハンドルを離さないために

これからの時代は、単なる目先の利益やコスト削減の追求ではなく、「何が起きても物が確実に入ってくる体制(安全保障)」を構築することが、企業にも、そして個人の生活基盤にも強く求められる。

70代半ばを迎えた私は今、助手席に置いたスマートフォンを「動く学習空間(キャンパス)」へと変貌させている。AIを「自分の仕事を奪う恐ろしいライバル」として遠ざけるのではなく、落ちてきた視力や記憶力といった自身の身体機能を拡張してくれる「デジタル・バディ(相棒)」として使い倒す道を選んだ。最新技術という巨大な波に抗うのではなく、「デジタルサーフィン」のように楽しみながら乗りこなしつつ、人間らしい温もりや気遣いだけはしっかりとハンドルに乗せて、今日も走り続ける。

読者の皆様も、まずは今日、手元のスマートフォンに向かってAIに声を出して話しかけることから始めてみないか。「物が届くのが当たり前」という前提が音を立てて崩れていく厳しい変革期だからこそ、新しい技術を良き相棒にし、人間ならではの「想像力」と「共感力」をフルに働かせることが、不透明な未来を明るく照らす唯一の道標になると私は信じている。

雨の恵みを受けて力強く咲き誇る紫陽花のように。想像以上に血の通った、人間味あふれる豊かな未来は、あなたのその小さな一歩の先に、必ず待っているはずだ。

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